日本人のルーツを探るため、昨年夏の草舟による沖縄・与那国島から西表島の「3万年前の航海」は、
今まで失礼ながら“失敗”の航海として記憶していました。
まして、モンキーキャンパスの受講者なら、一昨年6月に武蔵野美大の関野吉晴先生から南米最南端からアフリカまでを人力だけでたどった
グレートジャーニーや、インドネシアから沖縄までを手作りの丸木舟で乗り切った航海を聞いているだけに、
「さて、どれほどのものか」と見てしまう「耳年増」ぶりもありました。 しかし、海部先生たちの航海もまた、“失敗”どころか実証的に日本人のルーツを探るチャレンジングな冒険であり、 失敗を糧にまた新たに学問的探求をたどるスリリングな挑戦であることが、聞く側にとってもずんずん響くダイナミックな2時間でした。 最初に先生は3万8000年前から1万6000年前までの後期旧石器時代に、この列島でどれくらい遺跡が発見されているかを4択で問いかけます。 50? 100? 500? 1000カ所? 「いえ、全部まちがいです。全国で1万か所以上の遺跡が見つかっています」 |
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ちょっとズルい(笑)。でも、1万か所以上もの遺跡がこの列島にあったという事実にいきなり叩きのめされてしまいます。
そして、3万8000年をさらにさかのぼる研究が、「ゴッドハンド」と呼ばれた一男性の捏造事件によって大混乱に陥ったエピソードを織り交ぜながら、
「3万8000年前にこの日本列島で何かが起こった、誰かが来たに違いない。それがホモ・サピエンスです」と一気に話に引き込みます。 さらに先生は「新人(ホモ・サピエンス)が初めてできるようになったことは?」と問いかけます。 答えは、寒冷地に進出したことと、大洋を越えたことなのですが、これもまた豊富なスライドで紹介します。 関野先生の講義によって人類は縫い針の発見で寒冷地に進出したことを知ったのでしたが、 海部先生は実物の縫い針や釣り針やらのスライドを見せてくれました。 動物の骨らしいシンを研ぎ、糸を通す針穴が繊細で正確に開けられていることがはっきりわかります。 さらに昨年、国立科学博物館で行った「ラスコー展」に展示したネアンデルタール人とクロマニヨン人(ホモ・サピエンス)のスライドでは、 裸足で毛皮を身にまとったネアンデルタール人に対し、槍を持ち、毛皮の服をおしゃれに着こなすイケメンのクロマニヨン人を映し出します。 展覧会では「やりすぎ」の声も挙がったそうですが、実際に洞窟から出土した人骨や彫刻、壁画をもとに実証的にやったらそうなった。 皮を縫い合わせる裁縫技術や色彩感、デザインセンスを見れば、「おしゃれじゃないわけがない」というわけです。 さて、本題の「3万年前の航海」です。五感だけを頼りに世界最大級の黒潮海流を、 われわれの祖先が手漕ぎの小舟で乗り切ったことを証明する再現プロジェクトです。 その前に、先生は伊豆・神津島で採れた3万8000年前の火山性ガラスの黒曜石が、30キロ離れた静岡県内で見つかったことを話されます。 つまり、その時代、すでに航海技術があった証拠を示したのでした。 その上で、海面がいまより80m下がった氷河期の当時でさえ、直線距離で100キロの台湾??与那国島をなぜ渡れたかを実証しようとしていきます。 ただし、3万年前の舟は不明のままということで、実験では2016年に草舟、今年前半に竹舟、 そして最終目標の2019年までに丸木舟も試して、その中からもっとも妥当なモデルを選んで本番の台湾~与那国島の航海実験に挑みます。 つまり与那国??西表島は大プロジェクトのなかの最初のテスト航海だったというわけです。 海部先生たちの草舟での航海は、時代設定をしなかった関野先生の航海とは違い、「3万年前」と明確な設定があります。 後期旧石器時代という原理原則からブレず、かといって時間的な制約のなかで最大限、効率的に再現する手法をとります。 関野先生も「その時代設定が面白い」とプロジェクトに協力します。 草舟は与那国島に自生する二年草のヒメガマを使うのですが、手作りにこだわる関野先生からはヒメガマを刈る際、 明確な時代設定に沿って石器で刈れることを確認すると、あとは効率を考え鉄のカマを使うチームに対し、 「そんなのダメでしょう」とストイックな意見をもらったこともあるそうです。 さて、その最初の実験は、台風通過後、予想外に早い黒潮の支流に流され、西表島まで80キロの半分も行かない時点で中断します。 沖に出てみないとわからない海流の速さ、曇り空ではばまれる視界、そして高い波・・・。 海部先生は「難問だった資金不足を博物館初のクラウドファンディングで集めましたが、見事失敗でした」というものの、 その実験からは草舟の予想外の安定性や、磁石がなくても舳先を常に正しい方向に向けることができた正確さなど、収穫も多かったといいます。 そして、草舟にも出来、不出来があって、出来さえ良ければ「これはいいけるかも、という気持ちになった」と振り返ります。 実証的な研究では、直接的な証拠がすべて。しかし、今回のプロジェクトでは「これまで考えもしなかったことも、考えなければならない。 すると、どんどん新しいことを考えるようになる。それがやっていて面白かった」。 講義中のそんな言葉がずんずん響いてくることにつながったのだと思います。 3万年前、人類は地球のあらゆる場所に大拡散し、新たなフロンティアを見つけている真っ最中でした。 今回の実験では、その遠い祖先たちが、では、「なぜ島影も見えない大海原へ漕ぎ出していったか」という答えまでは出ていないといいます。 でも、見えない先に何かを思い描く想像力や探究心がわれわれ人類をつくり出したに違いありません。 本番も「これ、いけるかも!!」で乗り切ってほしいと応援せずにはいられない講義となりました。 文 : 京大モンキーキャンパス受講生 柴田永治
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※日本の動物園等で飼育されている霊長類の種数は102種類です。(2015年3月31日時点、GAIN調べ。種間雑種その他の分類不明なものは除く。) |